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宇喜多堤 歴史の小部屋
海から大地へ「早島」の誕生

 
ここ早島はその昔、その名のとおり瀬戸内海にぽっかりと浮かぶ島でした。吉備の穴海と呼ばれた早島周辺の海も、高梁川などの運ぶ土砂によってゆっくりと干潟化していました。この自然の営みに初めて人の手が加わったのが、およそ420年前。とある戦国大名によって行なわれた壮大な干拓でした。
それが、「宇喜多堤」です。



 


吉備の穴海と言われた頃の早島周辺
 

 

宇喜多堤は、今から約420年前の天正12年から14年頃、戦国大名の宇喜多秀家が早島の塩津多聞ヵ鼻から倉敷の向山岩崎にかけて築いたとされる汐止め堤防です。また、同じ時期に秀家は、倉敷酒津から向山に至る堤を築堤したと言われます。この2つの堤はいずれも宇喜多家家老の岡豊前守と奉行千原九右衛門によって築かれ、児島湾や水島灘からの海水の浸入を防ぎ、早島・帯江・東阿智に至る広大な干潟や湿地を新たな大地へと変えていきました。
大正時代の宇喜多堤跡
宇喜多堤跡といわれる早島の町筋
    (大正時代・町内小浜)


 
戦のあと新な領地を治めることになったわしにとっては、国力の充実が課題となった。そこで新たな村づくりに向けて、干拓による新田開発に乗り出したわけじゃ。
 水攻めに用いた築堤技術を実りの大地を開くために転用した宇喜多堤の築堤は、戦国時代の終わりを告げる平和のシンボルと言えるかもしれんの。
宇喜多秀家イラスト

この宇喜多堤の築堤を先駆けとして、以後昭和34年の児島湾締切堤防の完成まで実に400年にわたり、児島湾の干拓事業は営々と続けられました。宇喜多堤は早島をはじめ、備南地域発展の起点として歴史的にも大きな意義を持つものです。

 
早島一帯を大地へと変えた宇喜多堤。
次はその謎多きルートに迫ります。

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