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現在位置:早島町TOPページから宇喜多堤の歴史「屋根裏」








 















 
宇喜多堤 歴史の小部屋  ★おまけの屋根裏部屋★
「高松城水攻めと竹井将監」


   


  天正10年(1582)、備中国高松城は織田信長の命を受けた羽柴秀吉と前年にわずか9歳で家督を継いだ宇喜多秀家の軍3万に包囲されました。全国の覇を争い西の毛利輝元と東の織田信長の2大勢力が激突した世に有名な高松水攻めです。
 これに対し毛利軍は、足守川を境に備中境目七城と言われる砦を築き防衛ラインとしました。秀吉軍は、この防衛ラインを各個撃破し高松城に殺到しましたが、湿地に囲まれたこの城の攻め口は限られ戦いはこう着状態に陥りました。
 そこで秀吉は、高松城の南に巨大な堤防を築き、足守川の水を流し込んで城を水攻めにしました。その結果ついに城は落城。城主清水宗治は、将兵の命と引き換えに切腹して果てました。延長3km、基底部24m、高さ8m、上幅12mと言われるこの堤防の築堤は、宇喜多秀家の重臣であった岡豊前守と奉行の千原九右衛門が指揮したと言われています。

   


蛙ヶ鼻築堤跡
蛙ヵ鼻築堤跡

秀吉は蛙ヶ鼻から3キロの堤防 を築いたとされています。蛙ヶ鼻は、堤防の唯一残った史跡で、ここから堤防が造られたといわれています。岡山市教育委員会が蛙ヶ鼻の横を調査した結果、幅24mにわたる土俵の跡を発見しています。

   こぼれ話 「矢尾熊野神社と姫瓜の家紋」

       姫瓜の家紋
             松皮に姫瓜の家紋
 
高松城攻略の時、羽柴秀吉は進軍の途中に矢尾熊野神社に立ち寄り、戦勝を祈願したと言われています。 その時お供えとしたのが、姫瓜です。松の皮に載せてお供えしたとされています。
そして戦に勝った後、再び熊野神社を訪れた秀吉は、神の加護に感謝し、前と同じように松皮に瓜を載せてお供えしました。
それ以後、熊野神社の氏子の家紋は、皆、松皮に姫瓜となったといわれています。

冠山城跡
冠山城跡
竹井将監五輪塔
竹井将監五輪塔
 天正10年4月15日、宮路山城を攻撃した秀吉勢は冠山城にも兵を進めました。秀吉は杉原七郎左衛門を先手に攻めかかりましたが、城方もこれをよく防ぎ、秀吉軍は多くの犠牲者を出します。そこで4月25日秀吉軍は、伊賀忍者を使って城内に火を放ち、一気に城に突入しました。その時毛利の武将として城内にあった早島城主竹井将監は加藤清正と一騎打ちの末、武運つたなく戦死しました。
 それを聞いた秀吉は将監の武勇を惜しみ、遺族に見舞金を送ったと言われ、
早島公園の一画にある五輪塔は、その竹井将監の墓と伝えられています。
 
 
   
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