岡山県早島町 -風格ある往来ロマンのまち早島-トップページへ
 サイト内検索
検索方法へのリンク
トップページ緊急・防災早島町紹介施設案内電子町役場コミュニティ
  早島町の紹介・施策   写真で見るまちのうごき  早島町の概要  観光案内  イベント・行事 ライブカメラ 
  現在の位置 : 
現在位置:早島町TOPページから宇喜多堤の歴史「謎のルート」








 

















 
 宇喜多堤 歴史の小部屋
宇喜多堤「ナゾのルート」


宇喜多堤のルートは、実は謎に包まれています。いくつか残る資料からそのルートを探ってみましょう

1つめの資料は寛政7年に書かれた早島村の「東西入組地理明細書上」より 
 『御旅所龍王山麓より西宮崎山麓まで堤長拾壱町余、浮田堤と号す
  宮崎山西より六間川是又浮田堤と唱来候』 

2つめの資料は幕末に編纂されたと思われる「備中誌」より
  『其本、宇喜多秀家、千原民部九右衛門に命じて新開せしに依て也、
  是天正十二年十三年になる、
今の町の通りを宇喜多堤という也』  
 
 この2つの資料をもとに推定すると、東は早島町塩津の龍王宮(祇園社・多聞ヶ鼻)を起点とし、町筋(現在の県道妹尾倉敷線)に沿って宮崎山を経て西へ進み六間川へ至るルートが推定されます。さらにその先のルートについて、倉敷の郷土史家三宅千秋は『岡山県農業土木史』の中で、堤は県道と六間川が交わる辺りから南西方向へ進み、向山に残る榜示ヶ鼻という地名などから若一王子神社辺りに至ると推定しています。この説を信じれば、早島古田部、北西部への児島湾からの海水の浸入を防ぐことが可能となります。

      
 宇喜多堤推定ルート地図


 さらに、備中誌には次のような記述が見られます。

 窪屋郡巻之壱
    『天正十二年、宇喜多秀家の臣岡豊前守、検地して千原九右衛門勝則に
     命じて酒津川より下二十余町、今の浜村の辺まで堤を築き関留て開発す』

 早島を起点とした宇喜多堤が築堤された同じ時期に、酒津を起点に南に伸びる堤が築堤されていたのです。同じく、三宅千秋はこれを倉敷の宇喜多堤と呼び、酒津を起点に川入の春日神社を経て倉敷臨港鉄道の倉敷駅付近に至り、そこから渋江村と旧倉敷村との境を通り倉敷川に達したと推定しています。この説に従えば、東高梁川の川水や玉島、連島方面からの海水の浸入を防ぐことになります。
 そして、この2つの宇喜多堤によって、児島湾、水島灘からの海水の浸入は防がれ、早島・帯江・東阿智にいたる広大な新田が開発されることになったのです。


 

  向山から早島を望む 




宇喜多堤により出現した新たな大地。
次なる課題は「水の調達」でした。
  続きは次の部屋で 
ドア(次のページへのリンク
 



























































































Copyright(c)2006 Okayama Hayashima Town All Right Reserved.
このサイトについて セキュリティポリシー